酒蔵の紹介

ごあいさつ

米どころ新潟市西蒲区の海岸沿い霊峰弥彦山に連なる角田山麓に福井地区があります。
旧北国街道筋にあたり、街道有数の宿場町の岩室温泉・弥彦神社に近いことから栄えた地区です。
蔵は、角田山山系の麓に位置し、裏手側からは霊峰・弥彦山を一望することが出来、二つの山に挟まれた緑豊かで、天然伏流水の豊富な地区です。
夏になるとホタルの飛び交う自然豊かな環境で、冬場には、雪の降雪量は、少ないですが霊峰・弥彦山から吹き降ろす風は、非常に冷たく醸造環境に最適な環境下と言えます。
また、地元越後三根山藩は、江戸末期の戊辰戦争で荒廃した本家長岡藩に、「米百俵」の救済米を送った藩として有名な藩です。
創業は、寛永年間(1624年-1643年)。越後三根山藩へ献上したとの記録から遡ること380年間に亘り、新潟の地で酒造りを続けております。
新潟県内2番目に歴史ある蔵元です。

 

酒蔵周辺のご案内

北国街道

かつて、松尾芭蕉や吉田松陰も歩いたという北国街道。江戸時代に入り、幕府によってそれまでの道が整備され、脇街道として制定されました。
目的は佐渡の金山を江戸に運ぶためであるといわれており、当初は中山道の追分宿(軽井沢)から上越を渡り、出雲崎から佐渡へと渡っていきました。弥彦神社へ参拝に行く人々も、数多く往来した道です。
新潟湊が発展すると、街道は出雲崎から新潟へ延長され、岩室や巻へ通る街道も北国街道と称されるようになりました。

米百俵の故郷三根山藩

長岡藩城主、牧野家創主牧野駿河守忠成の第四子として誕生した定成が、寛永十一年18才で将軍にまみえ内高一万一千石(表高六千石)の分知の沙汰を受け三根山藩の領主となり、文久三年、十一代目忠泰の時代に漸く許可が下り一万一千石高となりました。
その後、忠泰公は藩校を開校し、校名を入徳館と名づけました。入徳館の名称は昭和53年3月まで続いた由緒ある名です。
三根山藩の名は、明治3年に峰岡藩と改名されました。

米百俵の碑

舟戸集落に隣接する三根山藩刑場跡稲葉を後にして、入徳館野外研修場に戻ると、「米百俵」の碑が見えてきます。
明治3年5月、三根山藩から宗家長岡藩士への見舞いとして米百俵が届けられた事を記した石碑です。

角田山

市街地から少し離れ、角田山山麓に足を運ぶと、その周辺には様々な史跡や施設が点在しています。
一日中自然散策を楽しみながら、スポーツ施設、温泉施設じょんのび館などでリラックス。
天然露天風呂も楽しめます。

弘法の清水

周辺一帯は柿畑となっており、付近には市の運動公園があります。
かつて、当地に弘法大師が立ち寄り、良民の快い施しを受けたお礼にと手にしていた錫杖を土に指し、これを抜くと水が湧き出て窮状を救ったと伝えられています。

蛍舞・矢垂川公園

6月中旬から7月上旬までゲンジボタルを見られる、県内有数の生息地。美しい自然と清流に囲まれ、矢垂川沿いの遊歩道がオススメの観賞スポットです。

じょんのび館

ほたるの里の中にあるじょんのび館は温泉が楽しめる日帰り温泉保養施設です。
和風・洋風・露天の各風呂があり、県内一の施設設備で好評を博しています。

越後七浦シーサイドライン

弥彦山の海側にある寺泊町野積浜から角田峠まで、佐渡を望みながら延長14kmのドライブコース。日本海の夕日の名所として
「日本海夕日ライン」とも呼ばれます。

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